投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


撥鏤の染色

 投稿者:渡嶋蝦夷  投稿日:2017年11月10日(金)18時55分21秒
   緑色の長円形の杯のシーンは見ていませんでした。再放送で確認します。興味を引いたのは
羊のろうけつ染めの復元です。
基本的には、テレビの再現手法だろうと思いますが、媒染など細部はどうでしょう。
 まるささんの紅色の撥鏤を読み、技術的に面倒なものがスキなんだなあ、と思いました。

 私は自然発酵の藍建てをしたことがあり、いろいろお話を伺ったり文献探したことあります。
染色は解らないことが多いのですが、その理由は第一、染色方法の文献は少なく、平安、
室町にはかさねの色目を楽しむほど豊かな染色技術があったのにその技術は絶えてしまいました。
第二に、植物の自然発酵染料、例えば藍で動物性の繊維、生糸あるいは象牙を染めるのは
困難です。具体的には、辻が花染めの青をどうしたのかは解りません。藍ですが、生葉染めか、
秘密の媒染か、染色液ダメになること覚悟で温度を上げたのか、でしょう。
第三に、復元されたとする今の草木染めの技術、薬品使うことも多い、で退色変色なしに
長期間耐えられるのかの担保がないので、果たしてそれで良いのかどうか。復元で媒染に
ツバキの木灰を使っていたことには非常な興味を覚えました。藍の発酵建てでは木灰を使い
ますが、灰なら何でも良いというわけではありません。

 藍染めに関しては、戦国時代の朝倉遺跡の復元見ると、季節限定の自然発酵建てのよう
ですが、それ以前は霧の彼方です。まして正倉院の時代となると、具体的に藍をどのよう
に使ったのかは解りません。赤は紅花が有名で、藍と同じように普通は発酵建てします。
染料を造るために植物を発酵させ、染色時に又発酵させて染める液を作ります。現在は、
殆どが薬品建てで、プロでも自然発酵か否かは見分けられないそうです。
 今回ネット検索したら、撥鏤を復元された方がいらっしゃいますが、方法は企業秘密の
ようです。私の乏しい知識で大胆に推理すると、繊維なら生葉、媒染も考えられますが、
染色面が広いのでおそらく紅花を使った加熱法だと思います。紺色系も藍建て媒染を使っ
た加熱法ではないでしょうか。藍はいろいろ媒染を変えたり、染める回数で浅葱から殆ど
黒まで幅広い色相を染められます。撥鏤は表面だけ染めるので温度と時間がノウハウの
中心では。

 ちなみに、染色方法も不明な点が多いのですが、ユーザーの着る技術も劣化したよう
です。自然発酵の藍染めの着物は一定期間で洗わなければなりませんし、最初は着る前に
洗ってある程度色落ちさせなければならないのですがさて、その回数とか洗剤など。
 浴衣地でも結構なお値段なので呉服やさんが教えてくれるとは思いますが。
 

日曜美術館~正倉院展

 投稿者:まるさ  投稿日:2017年11月 5日(日)23時42分56秒
  通信障害、直りましたのであらためて。

今朝の日曜美術館で、正倉院展が取り上げられました。
「よみがえる天平の美~第69回 正倉院展~」
(2017年11月5日午前9時~/Eテレ/再放送2017年11月12日午後8時~)
この放送後、また混雑が増すのでしょうか・・・

大きな巻き角の羊のろうけつ染めの屏風や、
ハープのような楽器の復元の模様は、
文字で読むのとは比べものにならない鮮烈な印象を与えてくれました。

伎楽面や琥珀の誦数(数珠)、竹編みの経帙等など、
光の加減も調整された美しい映像で、
あらためて感動できました。
実際に見に行っても、環境上また自分の視力上、
こんな風に細部まで見ることは叶わないですから・・・

今年の一月の春日大社展で、
細工の細部が肉眼ではまったく見えていないことに気付き、
その後意を決して単眼鏡を購入、愛用していたのですが、
正倉院展に持っていく、ということをすっかり失念していました。
それも、持ってくればよかったんだ!と気づいたのは、会場を出る間際でした。
なんとなくですが、私にとっての正倉院展は、展示を見に行くよりもはや、
愛しいものに会いに行くような感じなのかもしれません。
でも、日曜美術館の映像を見て、
単眼鏡を忘れていなければ、現地でももう少し良く見えたのかもしれないと、
少しだけ後悔しました。



 渡嶋蝦夷さん、上記日曜美術館で、
緑色の綺麗な長円形の杯、取り上げられました。
うさぎの絵柄ははっきりわかりましたが、
やはりカエルかとかげのようなものに見えて微笑ましかったです。
よく見ればたしかに、長い耳があるのですけれど。
長辺に流れるように施された葉脈はよく見せてくれましたが、
残念なことに短辺のチューリップのような模様は正面からは映りませんでした。
やんちゃ坊主がお絵かきの時間に精一杯緊張して描いたような、
洗練さとは別の独特の味わいをもった印象的な図象なのです。


撥鏤は、象牙を紅、紺、緑など単色に染めてから撥ね彫りで模様をつけたものですが、
私は特に紅色に染められたものが好きです。
深く沈殿するようでありながら、同時にあでやかに輝き出る「赤」という色は、
この撥鏤技法ならではのものではないかと、思っております。
正倉院宝物では尺(ものさし)や棊子(碁石)が著名かと思いますが、
どちらも大好きです。
書いて頂いた通り、碁石には花喰鳥が一羽ずつ、
ものさしには区画ごとに小鳥が並ぶ紋様が施されたものがあります。

http://musigosiki.blog.so-net.ne.jp/

 

日曜美術館

 投稿者:まるさ  投稿日:2017年11月 4日(土)22時09分1秒
  パソコンから投稿しようとしましたが、
プロバイダの障害が長引いてしまい、
スマホから簡易投稿致します。

明日のEテレ日曜美術館(午前9時~)にて、
正倉院展が特集されるそうです。
先日書きました、緑色の綺麗な長円形の杯、
も紹介されるようですので、
お時間があればご覧になってください。

プロバイダの接続が直りましたらまた、
改めて投稿致します。
取り急ぎ、明日のことでしたので、
簡易投稿にて、失礼いたします。
 

臣の字

 投稿者:渡嶋蝦夷  投稿日:2017年11月 3日(金)18時54分44秒
  >好きな撥鏤(バチル)
小さな小鳥が何羽か可愛らしく書かれたものがあった気がしますが
それでしょうか。

 古文書の教科書「古文書学入門」見てみましたが出てないようです。
図録見てたら、院庁とか政所下文では臣の字小さく書いてますね。
後白河院庁下文では臣の字が小さいのはもちろん、各行下に行くほど
字を小さく書いてます。この話は聞いたことある様な気がしますが・・・。
解ったらここに書きますね。いつになるか解りませんが。
 

(無題)

 投稿者:まるさ  投稿日:2017年11月 1日(水)18時32分40秒
   渡嶋蝦夷さん、台風の間隙を縫うような熊野紀行、お疲れ様でした。
その後お風邪など召されてはいらっしゃいませんか。
ご予定がわずかでもずれていたら、行くことも帰ることもできなかったかもしれないとのこと、
何者かの庇護を得て無事いらっしゃれたのかもしれませんね。
自分の力ではどうにもならないはずのことが不思議と都合よく進んだ時、
私はよく、何かわからないその力そのものに感謝してみます。

運慶展、おつかれさまでした。
公式からの混雑状況の実況を時々確認していますが、
恐れていたほどの、何時間待ち、という報告はまだ見かけておらず、
ほっとすると同時に少し不思議な感じがしています。
10月は都内お天気にも恵まれませんでしたので、
この後混雑するのでしょうか。

そして仏像ばかり見てきてしまったため、
図録をひもといて確認いたしました、運慶の名のある五輪塔形の銘札ですね。
その場でお読みになったとのこと、いつか私も読めるようになってみたいです。
図録で見ると本当に、平朝臣時政の「臣」の文字が小さいです。
意味があるのなら知りたいと思ってしまいました。
この札が像内から取り出されたのは江戸時代だそうですが、
何事かを願ってこの札を納入した運慶とその時代の人々、
また何ごとかを考えて取り出した江戸時代のどなたか、
そして大切に伝えてくれた皆様、
そのお陰で今、触れることが叶った私たち・・・
時の流れと人の想いに、感動せずにはいられませんね。

運慶自筆の文章はまた娘を思う父と、
どうやらその思いを踏みにじることになったらしい娘御の動向がわかるもののようで、
こちらも時を超えて気持ちが相わかる不思議を感じます。

聖観音像、この像に限らず彩色が後補の像と対するときは、
造立当初はこうだった、人々はあでやかなこの姿にこそ伏し、
作者もそれを求めて作ったはず・・・と、自分に言い聞かせるのですが・・・
必ず失敗して釈然としない思いを残して去ることになります。
こればかりはままなりません。

正倉院展、
緑色の綺麗な楕円の硝子の杯と書きましたが、
長径22センチ、短径10センチほど、高さは5センチの、
かなり長い楕円のそう大きくない、でも厚みのあるガラス器です。
線刻も繊細なものではなく、先に書きましたように稚拙さの中に味わいあるもの、
と私には感じられました。
このガラス器は、乾隆ガラスだとする説もあるくらい、
来歴が不明でかつ、唐代に類例がないそうです。


熊野紀行、30年以上前に訪ねた時のことを思い出しながら、
懐かしく読ませて頂きました。
渡嶋蝦夷さんのご体験とは逆の、当時珍しいと言われた渇水の時期で、
せっかくの那智の滝も干上がっていたため、
結局どれが滝なのかよくわからないままだった、お粗末な記憶です

http://musigosiki.blog.so-net.ne.jp/

 

熊野三山

 投稿者:渡嶋蝦夷  投稿日:2017年10月31日(火)18時36分50秒
  >京博の国宝展・あべのハルカス
  出かけられた方の話では、国宝展の待ち時間はそうでもない由。ハルカ
スは狭く大きな美術展の会場としてはどうかな、と仰ってました。
>私が好きな撥鏤(バチル)
 そうなんですか。正倉院のは色鮮やかですが、今回法隆寺館二階で見て
きました。ここにもあったのかと。
>緑色の綺麗な楕円の硝子の杯
  これは残念ながら見たこと無いのですが、線刻が入っているのですか。

 台風21号により紀勢本線が旅行前々日まで不通、訪問翌日は22号で
紀勢本線の外、阪和線も不通。予定がどちらかに少しずれていたら行けな
いし、帰れませんでした。伊丹では、空港へのアクセスが渋滞のため普段
の倍かかり、LCCなら搭乗できなかったというきわどいタイミングでした。
伊丹はこれまで京都、新大阪からバス使ってましたが、地下鉄・モノレール
に変更かな。

 熊野本宮大社へはバス。旧社地大斎原(おおゆのはら)からは明治22年
に移されたそうですが、それ以前も大雨はあったはず。それまでずっと中洲
にあったのでしょうか。詳しい参詣記事の出ている「明月記」を読まなくては、
と思いました、いずれ。新宮の熊野速玉大社は駆け足で。社殿は本宮と同じよ
うな景色でした。

 ハイライトは熊野那智大社。ここは西国三十三ヵ所の一番札所で二回目の参
拝です。以前書いたかな、三十三ヵ所は二十数年かけて回り終えました。大雨
の中、大門前から最も古道の雰囲気を残しているという坂を上りました。もう、
この段階で上から下までずぶ濡れ。傘は役に立たず。皆さん、登山装備でなる
ほどと感心。青岸渡寺、熊野那智大社にお参り。那智の滝は増水しており、轟
音で今にも崩れるのではないかという迫力。ここで、滝壺からの水煙でさらに
下着にまで通ってしまいました。

 那智勝浦駅では、時間待ちの間、上着は脱いで窓の鍵に架け、シャツは両袖
をパタパタと振って、落語みたい、少しでも乾かそうとしたのですが効果無し。
電車の暖房に期待したのですが入っていませんでした。

 三山では、牛王神符をいただいてきました。八咫烏を刷ったものですがそれ
ぞれデザインというか模様が違います。例の起請文に用いられたやつです。本
宮では、今も神前結婚式の誓詞に貼ってあるとか。良いと思いますが、さて効
果はどうでしょう。
 

運慶展など

 投稿者:渡嶋蝦夷  投稿日:2017年10月29日(日)14時42分42秒
    東京芸大のクローン文化財展「素心伝心」に行きました。
法隆寺釈迦三尊と壁画、莫高窟57窟などの再現などです。現地、
現物に臨んでも体験できないであろう細部まで表現され、事前に
期待した以上のものがありました。
 気になったのは、写真撮影。殆どの方が大小のカメラを振り回
されていました。バーミヤンの石窟再現では、周りの仏像に気を取
られ、天井を見ておられる方は、本当におられませんでした。
つぶやき、本末転倒。
 かつて私は自分でDPEをやっていました。ある国宝の仏様がい
らっしゃるお寺で、写真撮影を許されました。暗いので、増感現像
という特殊処理をすることにして1本取りました。しかし、引き伸
ばしに耐えるコマはひとつもありませんでした。それからは、メモ
以外では使っていません。必要なら図録、美術全集を求めればすむ
ので、撮影よりは自分がカメラになったつもりで拝しています。

 運慶展。「日曜美術館」以来、だんだん混んできたので、午後3時
過ぎ入場。それでも20分待ちだったので、法隆寺館経由でトライ。
>淡々とそこにありました。
 私は、胎内納入物、銘札が印象的でした。図録買わなかったので記
憶が定かで無いのですが、左側に「檀越平朝臣時政」とあり右側に運
慶の名が書かれたものです。願成就院仏に係わるものでしょう。この
お札は、未来永劫に人の目に触れることは想定されていなかったのに、
今、現実に展示されていることに、時間を越えて感動しました。これ
は運慶が書いたのでしょうか、何を願いどういう思いを込めたのでしょ
う。解説文では私の思が台無しになるので、無理して一次資料を読み
ました。「朝臣」の臣の字が非常に小さく書かれていました。何か意
味があるのかも。
 また、運慶自筆の文書が出ていたのですが、仮名混じり文に驚きま
した。仏師だから当然漢文だろうと思い込んでいたものですから。
 浄楽寺仏は初見、康慶作仏は作風が運慶に似ている、否、父の影響
がこんなにも大きかったのかと再認識しました。後世、彩色しなおさ
れたであろう、聖観音立像はどうしても色彩に引っ張られてしまいま
した。真っ白なお顔、何かなあ。

 正倉院展初日、私はずぶ濡れになりながら那智山にいました。
まるささん、今年はどうしたのかなと考えていました。名古屋側開通
直後の、きわどいタイミングでした。今日は、名古屋側、白浜側
とも運休です。
 

正倉院展

 投稿者:まるさ  投稿日:2017年10月28日(土)22時45分19秒
  台風の予報を見て、急遽今日、行ってきました。
初日の正倉院展。

お昼をはさむ、一番混雑する時間帯であったはずですが、
並ぶことなく入場でき、館内も例年程の大混雑ではなくて、
ほっと致しました。

雨だったためでしょうか。
京博の国宝展・あべのハルカスの北斎展などに人の流れが分散したためでしょうか。
混雑が緩やかだったことは嬉しいのに、
どことなく寂しく感じ、心配もしてしまう、複雑な心境です。
はじめて東京で、概要説明の記者会見をしたこともありますし。

これからテレビ番組でも取り上げられるでしょうから、
ちょうど台風が去った頃から混雑するのかもしれませんね。

耳目を集めやすい華やかな螺鈿細工のものや、
私が好きな撥鏤(バチル)の出品はなかったのですが、
奈良博正倉院展のホームページ筆頭に紹介されている、
大きな巻き角をもつ羊の臈纈(ロウケチ)屏風や、
それと並ぶクマタカの描かれた臈纈屏風は、
やわらかに明るく懐かしいものでしたし、
カタログ表紙にもなっている緑色の綺麗な楕円の硝子の杯は、
子供の描いたような花やカエルにしか見えないうさぎの線刻が、
おおらかで好ましく思いました。

聖武帝遺愛の尺八が二管出ていたのですが、
会場内にそれのものと思われる音色が流れていて、
これが素朴で往時をしのばせてくれました。

大仏開眼会に奉納された数珠の中でも出色の作という、
琥碧誦数(コハクノジュズ)が出ていたのですが、
母球その他に使われている真珠が、とても滑らかに輝いて美しかったです。
素人考えでは傷みやすい真珠が、
これほどの年月輝きを保っているのが、
何故かとても嬉しかったです。


今年はすいていて時間がかからなかったお陰で、
なかなか訪ねられなかった仏像館と、
興福寺の天平乾漆群像展にも足を運べました。
特に後者は混雑を予想して半ばあきらめていたにも関わらず、
並ぶことなく入堂できたので、こちらも驚きました。


いずれにせよ、日帰りはそろそろ卒業したいです。。。

http://musigosiki.blog.so-net.ne.jp/

 

夜間

 投稿者:まるさ  投稿日:2017年 9月29日(金)23時20分11秒
  運慶展のTwitterを見ていると、夜間開館時のライトアップされた東博の写真を目にします。
昼間とは雰囲気がかなり違う様子で、いつか夕暮れ以降に訪ねてみたくなりました。

 渡嶋蝦夷さん、どの像も、
無遠慮に眺めては立ち去る群衆に気を留める様子もなく、
淡々とそこにありました。。。私にはそう見えました。
これまでの何百年の間に、もっといろいろな人が、
その前を通り過ぎただろうことを思えば、
むしろ当たり前なのかもしれませんね。
像のもつ雰囲気は変わりませんでした。
ただ、鑑賞空間だけが、違っていました。
少しでも早くと思って行動しましたが、昨日今日はまださほどの行列は、
できていなかったようですね。
渡嶋蝦夷さんがいらっしゃる時も、あまり混雑していないことをお祈りします。

屋根に上って道長の娘の魂呼びの儀式をした陰陽師さん、
典拠となるものを自分なりに解釈したのでしょうか。
頭の固い上司のやりかたでは娘を呼び戻せない、など、
若い情熱で行動したのかしらと想像すると、
知らない方なのに身近に感じられて不思議な気持ちになります。

http://musigosiki.blog.so-net.ne.jp/

 

発注しました

 投稿者:渡嶋蝦夷  投稿日:2017年 9月28日(木)15時59分9秒
  > 混雑の異土で像たちがどんな表情をしているのかも、楽しみ
 なるほど。確かにそういう視点が必要ですね。

>興福寺北円堂の無著世親像の周囲に、南円堂の四天王像を配置した一画
  早いですね。この区画の写真は「朝日」に出ていました。

 暫く、遠と近の二本の眼鏡持ち歩いていたのですが、展覧会等は中でないと
具合が悪く、先日「中近」の眼鏡発注しました。
 東京芸大美術館でのシルクロード特別企画「素心伝心」と併せて尋ねようと
考えています。

 最近知ったこと。陰陽道についてです。いろんなお祀りを執行しており、多少
アヤシイのではないかと疑っていましたが意外と厳しかったようです。平安時代、
道長の娘が亡くなったとき、陰陽師が娘の住んでいた東対の屋根に昇り、当時
あまり行われていなかった魂呼びの儀式を修しました。ところが陰陽寮の上司た
ちは典拠にない行為だとして処罰しようとしたというのです。ですから、いろいろ
な儀式は、原則テキストに載っていたようです。
 

/110